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新島襄が創立した同志社大学へ

大河ドラマ「八重の桜」ゆかりの地として、八重の夫・襄が設立した同志社大学を紹介します。

八重の桜ゆかりの地・同志社大学が設立されるまで

同志社大学は、京都府京都市に本部を置く私立大学。1875年(明治8)、アメリカンボードの宣教師デイヴィスと、京都府顧問・山本覚馬の協力のもとに新島襄が設立した、同志社英学校を前身としています。

山本覚馬は宣教師ゴードンを通じてキリスト教を学び、キリスト教こそが日本を動かす力になると確信。新島襄とはゴードンの紹介で知り合い、彼の教育理念を知った覚馬は、維新後に購入していた旧薩摩藩邸の敷地を安価で譲渡したのです。

新島襄は、キリスト教を徳育の基本として「自由主義」「国際主義」を教育理念としていました。知識のみに偏らず、人徳にも優れた人材を排出することを目指したのです。

また、日本が自由と民主性を併せ持つ近代国家になるためには、一人ひとりの人格が十分に尊重されることが重要と考え、「学生を丁重に対応すること」を同志社の教職員に望みました。

これは新島の遺訓でもあり、今でも同志社大学で大切に守られている理念です。

同志社大学の施設と新島襄・八重との関係

 今出川キャンパス
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同志社大学の今出川キャンパスは、137年を越える同志社の歴史と伝統を感じさせてくれる学舎。旧薩摩藩邸の跡地であり、隣に冷泉家、南に京都御所、北に相国寺を配します。

キャンパス内にある同志社礼拝堂・クラーク記念館などの建物は、5棟が国の重要文化財に指定。京都に現存する最古のレンガ建築が並び、美しく壮大な歴史的景観を形成しています。

 同志社女子大学
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1876年(明治9)、京都御苑内の元公家屋敷内に設立された女子塾を前身とした大学。同志社大学は男子のみを対象としていましたが、新島襄は女子教育の重要性も当時から強く認識していました。

設立に携わったのは、新島襄、妻の八重、宣教師スタークウェザー。生徒はわずか12名でしたが、翌年には同志社女学校として正式な認可を受けます。同志社女子大学となったのは、1949年(昭和24)のことです。

宣教師スタークウェザーは、アメリカンボードの女性宣教師で、同志社女学校の教育に尽力。八重も、創設すぐの女学校にて、英語のスペリングや小笠原流の礼儀作法を教えていました。

ちなみに、八重の葬儀は1932年(昭和7)に完成した同志社栄光館で執り行われました。栄光館は今でも同志社女子大学・今出川キャンパスに現存し、国の登録有形文化財に指定されています。

 
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