福島・京都・神戸「八重の桜」ゆかりの地完全ガイド

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悲劇の鳥羽・伏見戦場跡へ

大河ドラマ「八重の桜」でも描かれる戊辰戦争ゆかりの地をご案内します。

八重の桜に見る戊辰戦争ゆかりの地

 鳥羽・伏見の戦い跡の碑
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伏見区中島御所ノ内町にある石碑。

1868年(明治元年)、小枝橋近くで戊辰戦争の発端となる鳥羽・伏見の戦いが勃発。北上する旧幕府軍1万5千人(幕臣、会津、桑名軍)と、これを阻止せんとする新政府軍6千人(薩摩、長州軍)が小枝橋で衝突しました。

当時、小枝橋は大阪から京へ入るための、非常に重要な橋だったのです。

 城南宮
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八重の桜ゆかりの地・城南宮城南宮(じょうなんぐう)は、京都市伏見区にある神社。平安遷都の際に創建され、国常立尊(くにのとこたちのみこと)・八千矛神(やちほこのかみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)を祀っています。

鳥羽・伏見の戦いの際には、新政府軍が境内に陣を構えたため、戦場となりました。境内の神苑楽水苑(らくすいえん)には四季折々の草花が咲き、人々の目を楽しませています。

 鳥羽離宮跡公園
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鳥羽離宮とは、平安時代に白河上皇と鳥羽上皇が造営した大規模な離宮。2人に後白河上皇を加えた3代に渡って、ここで院政が行われていました。

鳥羽・伏見の戦いの際、この一帯は戦いの激戦地となったことでも有名です。公園内にある「秋の山」には薩摩藩の砲台が配置されており、戦の口火となる最初の砲撃が行われました。

八重と鳥羽・伏見の戦い

鳥羽・伏見の戦いは、1868年(明治元年)に起こった、旧幕府軍1万5千人(幕臣、会津、桑名軍)と、新政府軍6千人(薩摩、長州軍)との内戦です。

大阪城の旧幕府軍は、15代将軍徳川慶喜を擁して戦いましたが敗退、慶喜は江戸へ戻ることになりました。

この戦いに参加していた八重の弟・三郎は、敵の銃撃を受けて負傷。江戸の会津藩屋敷に逃れて治療を受けるも、20歳という若さで命を落とすことになります。また、兄である山本覚馬も薩摩兵に捕えられ、藩邸に幽閉されました。

三郎の遺髪と装束は山本家に送られ、八重はこれを機に断髪。形見となった血染めの装束に身をまとい、七連発のスペンサー銃を持って銃撃戦に参加します。八重にとっての戊辰戦争は、弟の弔い合戦でもあったのです。

 
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