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会津藩士の戦いをしのぶ記念碑を行く

大河ドラマ「八重の桜」でも描かれる、戊辰戦争ゆかりの地を巡ります。

八重の桜と戊辰戦争ゆかりの地~会津藩士たちの激闘の跡~

 戸ノ口原古戦場跡
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戸ノ口原古戦場跡は、戊辰戦争のとき会津藩白虎隊・士中二番隊が、侵入してきた薩長軍と激しく戦った地です。

白虎隊は、ここで多数の仲間を失い敗走。鶴ヶ城を目指して戸ノ口堰洞穴を通過し、飯盛山へと抜けて行きます。

現在、戸ノ口原古戦場には白虎隊の記念塔があるだけで、ただ草むらが広がっているのみとなっていますが、彼らを偲んで数多くの観光客が訪れます。

 戊辰戦争戦死者の墓群
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戸ノ口原古戦場跡の手前に、戊辰戦争戦死者の墓群があります。戊辰戦争で8月22日から23日早朝にかけて戦い、戦死した会津藩士の墓です。

もともと、墓はこの近辺に点在していましたが、現在の一画に移したとのことです。

 会津藩二十二士の墓
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戊辰戦争のとき、十六橋を進んできた薩長軍と会津藩軍は戸ノ口原で激闘を繰り広げます。しかし、兵力は薩長軍が圧倒的に有利。白虎隊をはじめとする会津藩軍はやむなく撤退を迫られます。

この戦いで会津藩士には数多くの死者が出ましたが、遺体は埋葬もされず、山野で朽ち果てるのみでした。

それを哀れに思った近隣の集落の人々が二十二の遺体を集め、ここに葬り墓を建てて供養しました。これが、会津藩二十二士の墓です。

 白虎隊十九士の墓
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飯盛山の石段をのぼった左手にある白虎隊十九士の墓。この地で自刃して命を落とした19名の隊士の墓が、一列に並んでいるのが特徴です。

戸ノ口原の戦場から退却して鶴ヶ城を目指す際、飯盛山から見えた鶴ヶ城は炎上しているように見え、彼らは城が陥落したと思い込み自刃を決意。飯沼貞吉を除く19名が、この地で若すぎる命を落としました。

現在でも彼らの死を悼む観光客が年間200万人も訪れ、墓前には線香の煙が絶えないと言います。

 白虎隊自刃の地
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白虎隊自刃の地は、白虎隊十九士の墓より少し下ったところにあります。この地で白虎隊は城が陥落したと思い、自刃したのです。

会津若松市の中心部が一望できるこの場所に立ち、彼らの心情を思うと非常に感慨深いものです。自刃の地では、隊士たちが鶴ヶ城を臨む姿を再現した石像も見られます。

 
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