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「什の掟」会津の心が息づく史跡を巡る

大河ドラマ「八重の桜」ゆかりの地として、八重の生家である山本家が仕えた会津藩にまつわるスポットを巡ります。

「八重の桜」ゆかりの地・会津藩の史跡を紹介

 鶴ヶ城(会津若松城)
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八重の桜ゆかりの地・鶴ヶ城鶴ヶ城とは通称であり、江戸時代は会津若松城と呼ばれていました。1384年(至徳元年)に葦名直盛が築いた東黒川館が原型と言われており、戊辰戦争では1ヵ月に渡る籠城戦に耐えた名城として知られています。

明治7年に、石垣を残して取り壊されましたが、明治40年9月に、多くの方の寄付によって再建。天守閣に続く建物である干飯櫓・南走長屋も、江戸時代の工法・技術を用いて平成13年に復元されています。

天守閣の内部は若松城天守閣郷土博物館として利用されており、会津のさまざまな歴史を知ることができます。

 松平家墓所
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松平家墓所は、1987年に国史跡に指定された松平家歴代藩主の墓所。初代の保科正之が祀られる猪苗代の「土津(はにつ)神」と、2代目~9代目までが眠る会津若松市「院内御廟」の2ヵ所の総称となっています。

敷地は非常に広大で、江戸時代の大名御廟の中でもトップクラスの規模。当時の会津藩の力を垣間見ることができます。

 会津武家屋敷
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会津武家屋敷は、会津藩家老・西郷頼母の屋敷を中心としたミュージアムパーク。福島県の重要文化財である旧中畑陣屋・数奇屋風茶室、藩米精米所などの建造物が軒を連ねています。

なかでも、江戸中期の建築技術を用いて造られた家老屋敷には38もの部屋があり、ろう人形を使って各部屋の使い方をリアルに再現。当時の生活様式を知ることができる、全国的にも珍しい施設となっています。

 御薬園
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会津若松市にある御薬園(おやくえん)は、昭和7年に国の名勝に指定された江戸時代の大名型山水庭園。中央に心字の池を配し、モミ・スギなどの木を点植、背炙山を背景とした借景池泉回遊式庭園となっています。

2代藩主・保科正経が領民を疫病から救いたいと、園内で薬草栽培を試みたのが名前の由来。四季を通じてさまざまな花が咲き、歴代の会津藩主が愛でた庭園の風情を楽しむことができます。

会津藩士師弟の心得「什の掟」

会津藩士の子弟は、10歳になると日新館という教育機関に入学する決まりとなっていました。

6~9歳までの子供は地区ごとに「什(じゅう)」というグループを作り、遊びも勉強も共に行い、入学前からさまざまな心構えを学んでいました。

その什の中にはルールがあり、メンバーはこの約束に背かないよう努力していたのです。その約束こそが、「什の掟」です。

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ

これに「ならぬことはならぬものです」を付け加えたものが「什の掟」。この掟に背いたものは事実の有無を審問され、間違いがなければ制裁が加えられます。

制裁の内容は子供らしいもので、お辞儀をしてお詫び(無念)、手の平や手の甲へのしっぺ(竹篦)など。最も厳しいものでは、火鉢に手をかざす「手あぶり」などもありました。

什に属することができるのは男子のみとなっていますが、什の掟にある会津武士の魂は、八重の心の中にもきっと根付いていたことでしょう。

 
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